2000年次報告書

 本年度末に長尾忠昭助手が東北大学金属材料研究所の助教授として、また、学振特別研究員の白木一郎博士が産業技術総合研究所へ、科学技術振興事業団研究員の S.V. Ryjkov 博士がロシア科学アカデミーへ転出した。また、田邊輔仁君が修士の学位 をとって卒業した。
当研究室では、表面物性、特に「表面輸送」をキーワードにして、固体表面特有の様々な構造と現象について実験的研究を行っている。特に、シリコン単結晶表面上に形成される種々の表面超構造を利用し、それらに固有な表面電子バンドの電子輸送特性を明らかにし、バルク電子状態では見られない新しい現象を見い出すことをめざしている。そのために、表面構造の制御・解析、表面電子状態、電子輸送特性、表面近傍での電子励起やフォノン構造、原子層・分子層の成長構造、エレクトロマイグレーションなどの表面質量輸送現象など、多角的に研究を行っている。また、これらの研究のために、新しい手法・装置の開発も並行して行っている。
以下に、本年度の具体的な成果を述べる。


表面電子輸送

マイクロ4端子プローブによる表面電気伝導の測定

昨年に引き続き、デンマーク工科大学マイクロエレクトロニクスセンターで開発されたマイクロ4端子プローブ(プローブ間隔;4〜20μm)を当研究室所有の超高真空走査電子顕微鏡(SEM)・MBE装置に組み込み、表面超構造を制御しながらミクロな領域の表面電気伝導度を測定した。昨年度、Si(111)-7×7清浄表面および Si(111)-√3×√3-Ag 表面上において、ステップバンドをまたいだ領域とステップフリーの領域の抵抗に大きな差があることを見いだした。
今年度は、これらの結果とレギュラーステップの場合を比較し、その抵抗値はステップフリーの場合よりも若干大きいものの比較的近いことがわかった。すなわちステップバンド領域で観測された抵抗値の大幅な増加はバンチングを起こすことによって生じることが分かった。また、 Si(111)-7×7 清浄表面上で非線形の電流―電圧特性を見いだした。この特性はHeike等がすでに報告している表面電子状態とバルク電子状態間に形成されるショットキー障壁に起因すると説明できる。なお、この非線形特性は Si(111)-√3×√3-Ag 表面では観測されなかった。(デンマーク工科大学マイクロエレクトロニクスセンターとの共同研究)

独立駆動型4探針STMによる表面電気伝導度の測定

昨年度までに、4つのプローブが独立して動作する4探針STMの開発をほぼ完了した。今年度は主に制御系の製作を行った。すなわち、4つの探針を、4端子法の伝導度測定用およびSTM用の探針として切り替えて使用できるよう、各探針へのリード線を電気的に切り替え可能にするためにスイッチ付プレアンプを製作し、評価を行った。また、本装置をSTM装置として用いる際に必要となる探針のフィードバック装置であるDSP(デジタルシグナルプロセッサ)およびその入出力回路の製作・評価や、その他各種周辺装置の評価、製作を行った。
本年度は、これらの製作と並行して、この装置の本来の目的である表面電気伝導の測定を行った。 ただし、探針はフィードバックをかけずに試料表面に直接接触した。対象とした系は、Si(111)-7×7清浄表面とSi(111)-√3×√3-Ag表面であり、それぞれの表面で4端子法におけるプローブの間隔 d を1mmから1μmまで変化させて電気抵抗の測定を行った。
まず、 Si(111)-7×7清浄表面では、測定された電気抵抗は、プローブの間隔に依存して非常に大きな変化を示した。d = 10μm〜100μmでは、電気抵抗は試料のバルク抵抗率に対応し、試料が半無限の一様な導体とみなせる。d = 100μm〜1mmでは、試料のバルク抵抗率から予測される抵抗値よりも大きな値が測定された。これは、プローブ間隔が試料の厚みと同程度となるので、試料の厚みが有限である効果が反映されるためである。d = 1μm〜10μmでも、試料のバルク抵抗率から予測される抵抗値よりも大きな値が測定された。これは、プローブ間隔を小さくすることにより、表面空間電荷層(この場合は空乏層)での伝導が支配的に寄与するからである。このプローブ間隔範囲では、間隔を小さくするにつれて、単調に表面電気伝導度(シートコンダクタンス)は小さくなった。特に、d = 1μmにおいては、2×10-6 Ω-1となった。これは、STMを用いた点接触法によりY.Hasegawaらが測定したSi(111)-7×7清浄表面上での表面状態に起因する電気伝導度の値とほぼ同程度である。すなわち、d = 1μm程度から、表面状態の影響が現れる可能性を示唆している。
次に、Si(111)-√3×√3-Ag表面では 7×7清浄表面と全く異なる振る舞いを示した。すなわち、dを小さくすると電気抵抗は単調に減少した。この理由として、プローブ間に存在するステップなどの表面欠陥の影響が相対的に小さくなっていくことが考えられる。電気抵抗の変化は、7×7清浄表面と比べると極めて小さく、√3×√3-Ag表面では、2次元的な電気伝導、すなわち、表面状態に起因した電気伝導が支配的であることを示している。また、この抵抗の変化は、試料の不純物濃度を変化させても不変であり、このことも、表面状態に起因した表面電気伝導が支配的であることを示している。

4探針STM
4探針STMのティップのSEM像。
4本の探針を約600nmまで近づけたところ。

表面粗さと表面電気伝導

STM、RHEED、および「その場電気伝導測定法」を用いて、Si(100)-2×3-Na 表面を例にして、原子尺度での表面粗さと表面電気伝導の関連を調べた。 この表面超構造では 1/3 原子層の Si 原子層が含まれているので、Si(001)-2×1清浄表面上にNa を蒸着して2×3-Na構造にすると、Si 原子の数を調整するため、平坦なテラスが1原子段差の狭いテラスに分離して凸凹になる。しかし、前もって、清浄表面上に1/3 原子層の Si を蒸着しておくと、平坦な 2×3-Na 構造が形成される。このように、前もって蒸着する Si 原子の量を制御することで、表面の粗さを制御できることを示した。さらに、それぞれの表面での電気伝導度を測定すると、表面粗さに依存して著しく変化した。伝導度は、Si 蒸着量が 1/3 または4/3 原子層で平坦な表面のとき最大となり、その中間の蒸着量で最小となった。この結果は、表面近傍を流れるキャリアの、表面粗さに起因する表面散乱の影響を直接示すものである。

表面超構造と相転移

IV族原子吸着 Si(111)-√3×√3 表面の CDW 転移

Si(111) 表面上に 1/3 原子層の Pb または Sn が吸着した時に形成される √3×√3 表面超構造を150 K 程度に冷却すると、3×3 構造に転移することを昨年までに RHEED を用いて調べてきた。今年度は、この相転移を低温STMで観察した。Sn 吸着の場合、置換型欠陥の第一隣接サイトのみで 3×3 周期の変調が観察されただけで長距離秩序は成長しないのに対し、Pb 吸着の場合には、置換型欠陥を中心に 3×3 のドメインが形成されていた。また、このとき、欠陥が 3×3 の長距離秩序で並び、ドメイン形成に重要な役割を演じていることがわかった。最近提案されている 'Defect Density Wave' の考え方で解析しているところである。

擬1次元表面 Si(111)-4×1-In 表面のCDW相の室温での誘起

Si(111)-4×1-In 表面は、擬1次元金属的な表面電子状態を持ち、 約 130 K に冷却するとパイエルス転移を起こして電荷密度波 (CDW) 相である 8×'2' を形成することを一昨年度見い出した。しかし、室温での 4×1 表面上に極微量(0.1 原子層以下)の Na 原子を吸着させると 4×'2' 相に転移することを RHEED おおよび STM で見出した。×'2' 周期の変調は低温で見られる1次元CDWと酷似しているため、Na 吸着原子からの電荷移動によってフェルミ面がチューニングされ、室温でCDW が形成されたものと考えられる。この仮説を証明するため、光電子分光による測定を計画している。(韓国ヨンセイ大学との共同研究)

擬1次元表面 Si(111)-3×1-Ag 表面の低温での相転移

Si(111) 表面を 600 ℃ 程度の高温に保って Ag を蒸着すると 3×1-Ag 相が形成され、それを室温に冷却すると 6×1 構造に相転移することは知られていたが、これをさらに 120 K 程度に冷却すると c(12×2) に相転移することを STM および RHEED を用いて見出した。そのSTM像から、秩序・無秩序転移とは考えられず、電子的な駆動力の検討が必要と考えられる。(スエーデン・リンショービン工科大学および東北大学との共同研究)

表面電子励起

高波数分解型低速電子回折-電子分光装置(ELS-LEED)を用いた表面バンド中の低次元プラズモン(シートプラズモン)の研究

Si(111)-√3×√3-Ag表面電子バンド中の2次元電子系のプラズモンのエネルギー分散関係を、高い波数分解能を持つELS-LEED装置を用いて、世界で初めて測定した。高密度量子プラズマに対して1966年にFrank Sternが予言した、弱結合RPA理論による分散関係にほぼ完全に一致することをはじめて直接的・定量的に示した。また表面に不純物を吸着させ表面電子バンドのエレクトロンポケット中の電子密度を増加させると、理論からの予想通りに、分散曲線の傾きが急になることも見出した。さらに、プラズモンの減衰に従来の解釈(バンド間遷移型、フォノンアシスト型、不純物アシスト型の減衰)では理解不能な波数依存性があることを発見し、プラズモンの寿命が2次元電子系の電子相関の程度や膜厚方向の閉じ込めの強さの程度に関係があるとする解釈を提案した。(独国ハノーバー大学との共同研究)

原子層・分子層の成長

Bi/Si(111)超薄膜の自己組織化

Si(111)-7x7表面上のBi超薄膜の初期成長は、SK様式を経て、アイランドのパーコレイションによる平坦化の後、完全な層状成長に移行する珍しい成長を示す。その際、下地に対して回転無秩序性の有るRHEEDパターンから徐々に秩序性の高いパターンへと移行し、15層程度において単結晶状の薄膜となる。この自己組織化の様子をこれまでのSTM観察、電気抵抗測定に加え、RHEEDの強度変化測定や菊地パターン解析、断面TEM観察などを行い、結晶性の深さ方向依存性や、界面構造などを解析した。

Si(001)表面上のAgの成長

前年度までに、室温においてSi(001)-2x1清浄表面上にAgを蒸着しながら電気抵抗を測定した。その結果蒸着膜厚が40原子層程度で電気抵抗が一時的に急上昇しその後急激に抵抗値が減少することを見いだした。またこのような特異な電気抵抗の変化はSi(001)-2x3-Ag表面上に同様の実験をした場合には見られなかった。今年度はSTMによってこれらの成長様式を直接調べた。Si(001)-2x1清浄表面上のAg原子層成長の場合、これまでに報告のあったAg(111)方位の平坦なアイランドに加えAg(001)方位の3次元的なアイランドが初期成長過程から存在し、この2種類のアイランドで成長した。さらに50ML以上の高い蒸着量ではAg(111)アイランドのみが連続膜を形成しAg(001)アイランドは逆に減少していることがわかった。その一方でSi(001)-2x3-Ag表面上ではAg(111)アイランドは存在せず3次元的なAg(001)アイランドのみが成長し、高い蒸着量でも平坦な膜にならずに立体的なアイランドの裾同士が接しあったような状態になるだけであることがわかった。このように0.5原子層以下の蒸着量で形成される下地表面構造のわずかな違いが数十原子層に及ぶAg原子層の成長様式に大きな差異を生むことがわかった。


今年度の研究は下記の研究費補助のもとで行われた。記して感謝いたします。

  • 科研費 基盤研究A「4探針走査トンネル顕微鏡の開発とナノメータ・スケール表面電気伝導の研究」(代表者 長谷川修司)
  • 科研費基盤研究B(国際学術)「表面電子輸送」(代表者長谷川修司)
  • 科研費基盤研究C「半導体の表面電子準位バンドの電気伝導特性」(代表者長谷川修司)
  • 科研費基盤研究C「2次元角度走査型高分解電子エネルギー損失分光装置による表面構造相転移の研究」(代表者長尾忠昭)
  • 科研費創成的基礎研究「表面・界面---異なる対称性の接点の物性---」(代表者八木克道)
  • 科学技術振興事業団戦略的基礎研究「人工ナノ構造の機能探索」(代表者青野正和)
  • 受託研究科学技術振興事業団「半導体表面超構造と表面電気伝導の制御」(代表者長谷川修司)