2001年度(平成13年度)年次報告

9月に松田巌君が当研究室の新任助手としてチューリッヒ大学から赴任してきた。4月から金川泰三君と劉燦華君が新しくメンバーに加わった。

当研究室では、表面物性、特に「表面輸送」をキーワードにして、固体表面特有の様々な構造と現象について実験的研究を行っている。特に、シリコン単結晶表面上に形成される種々の表面超構造を利用し、それらに固有な表面電子バンドの電子輸送特性を明らかにし、バルク電子状態では見られない新しい現象を見出すことをめざしている。そのために、表面構造の制御・解析、表面電子状態、電子輸送特性、表面近傍での電子励起、原子層・分子層の成長構造、エレクトロマイグレーションなどの表面質量輸送現象など、多角的に研究を行っている。また、これらの研究のために、新しい手法・装置の開発も並行して行っている。以下に、本年度の具体的な成果を述べる。


1.表面電子輸送

温度可変マイクロ4端子プローブ測定装置の開発

一昨年、昨年に引き続きデンマーク工科大学マイクロエレクトロニクスセンターで開発されたマイクロ4端子プローブ(プローブ間隔;4〜20μm)を用いて表面超構造を制御しながらミクロな領域の表面電気伝導度を測定した。今年度はヘリウム温度まで試料とプローブを冷却でき、また試料の回転、平行移動の機構を備えた装置を立ち上げた。これを用いてまず表面一次元金属であり、かつ低温に於いてパイエルス転移が起こるSi(111)-4×1-In表面の伝導度の温度依存性を測定した。その結果、転移温度(〜120 K)以上では金属的な温度依存性を示すが、それ以下の温度領域では冷却とともに急激に抵抗が上昇することが見出され、明らかな金属・半導体転移を見出すことができた。(デンマーク工科大学との共同研究)

表面電気伝導度の異方性

上述の温度可変マイクロ4端子プローブ測定装置では、プローブに対して試料を360°回転できるので、電気伝導度の異方性を測定することができる。上述のSi(111)-4×1-In表面は、その一次元金属的な表面電子バンドを持つので著しい伝導度の異方性が期待できる。しかし、室温における測定結果では、金属鎖に沿う方向とそれと垂直方向で伝導度の差が見出されなかった。そこで、無限大の異方的伝導度をもつ2次元シートを仮定して、その伝導度の4端子測定結果を解析的に解いたところ、線型4端子プローブ法では原理的に異方性が検出できないことを見出した。つまり、プローブから拡がる電流分布が異方的になるが、プローブを結ぶ線上の電位分布は異方性に関わらず同じ関数形で書ける。これをもとに、異方性を検出するためのプローブの配置を考案した。これにより、金属鎖間のホッピング伝導と金属鎖に沿う金属的な伝導の比を求めることが期待できる。(電気通信大学およびデンマーク工科大学との共同研究)

独立駆動型4探針STMプロ−バーの制御系の作成

表面電子輸送を研究するために、本研究室では独立駆動型4探針STMプロ−バーを開発してきた。昨年度までに、本装置を用いてSi(111)-7×7やSi(111)-√3×√3-Ag表面の表面電気伝導度を測定し、その由来がプローブ間隔に依存して、バルク、表面空間電荷層、表面状態の3種類であることを確認した。しかし、探針と試料との接触を制御していなかったため、接触点の電気的状態に疑問が残っていた。このため、今年度は試料と探針の接触を制御する測定系、ソフトウェアを開発し、接触点での電気的特性を従来の4端子測定とあわせて測定した。接触点ではショットキーバリアが形成されており、試料との距離に依存してその特性が変化することが測定された。また、トンネル電流を検知することによる自動アプローチを用い、表面を破壊せずに4端子電気伝導度測定を行った。プローブ間隔が15μmでの測定結果は従来の結果と一致するものであった。今後の課題は、さらに探針を近づけた場合の表面電気伝導度を測定することや、Si(111)-4×1-InやSi(111)-5×2-Auなどの異方性のある表面の測定、さらに、4つの探針を独立にプローブとして用いることができるという特性を活かし、ナノスケールでの点接触トランジスタの特性の測定、金属クラスターを用いることによる単電子トランジスタの特性評価などに応用していく予定である。

独立駆動型4探針STMプローバーによる異方的表面電気伝導度の測定の検討

従来の線型4端子法は4本のプローブを直線に並べるものであり、プローブが並んでいる線上に沿った電位分布しか測定できない。ところが、上述のように、異方的伝導度を持つ試料では、電流プローブを結ぶ線上の電位分布は異方性に関わらず同一であることを解析的に導いた。よって、線型4端子プローブ法では伝導度の異方性を検出することができない。そこで、二次元伝導体の異方性を測定するため、新しい4端子プローブ法を考案した。すなわち、4本のプローブを正方形に並べて、電流プローブと電圧降下測定プローブを入れ替えながら測定する。独立駆動型4探針STMプローバーではこの測定が可能であるので、異方性の強いSi(111)-4×1-In 表面や Si(111)-5×2-Au 表面を用いて測定を行うことにした。(電気通信大学との共同研究)

2.表面超構造と相転移

Si(001)清浄表面の極低温での相転移

Si(001)-2×1清浄表面は100K近傍に於いて秩序・無秩序転移を起こしてSi(001)-c(4×2)構造に変化すること、また両者とも半導体的な表面電子状態を持つことは広く知られている。しかし、50K以下に冷却するともう一度相転移を起こして、金属的な表面電子状態を持つ2×1 表面に変化するのではないかという示唆が走査トンネル顕微鏡(STM)の観察からなされている。そこで、これらの相転移に伴う表面電子状態の変化を測定するため、イタリアのトリエステにあるエレットラ・シンクロトロン放射光施設において光電子分光の測定を行った。この結果、電子状態から見ると、少なくとも40Kにおいては半導体的な電子状態を持つ表面のままであり、示唆されている金属的な2×1相には転移していないことが確認された。(フランス・プロバンス大学および南パリ大学との共同研究)

IV族原子吸着 Si(111)-√3×√3 表面の相転移と欠陥

Si(111)上に1/3原子層程度のPbまたはSnを吸着させて構成される√3×√3表面を低温に冷やすことによって、3×3相へ相転移を起こすことが知られているが、その詳細を調べた。Pb/Si(111)表面についてはすでにCustance等によって3×3相転移が確認されているが、今回は特に表面上の欠陥に注目し統計を取ったところSn/Ge(111)表面で報告されているような低温$3\times 3$相での欠陥配置転換(いわゆる defect density wave)が確認された。その一方でSn/Si(111)表面についてはUhrberg等による内殻光電子分光スペクトルから低温における$3\times 3$相転移が予測されていたが、今回6Kまで冷却しSTM観察を行った結果、何ら相転移が起こらないことがわかった。このことはこれらの系で長く議論されていた表面吸着原子のいわゆるthermal fluctuationモデルが少なくともSn/Si(111)表面についてはあてはまらないことを意味する。更に、Sn/Si(111)表面については70Kに置ける欠陥配置の解析から、Sn/Ge(111)表面やPb/Si(111)表面とは異なり、欠陥は低温においても全くランダムに分布していることがわかった。

Si(111)-√3×√3-Ag表面上のアルカリ金属の吸着

Si(111)-√3×√3-Ag表面上に一価貴金属の金、銀あるいは銅原子を吸着させると、√21×√21という周期を持つ表面超構造が形成されることが知られている。これらは高い表面電気伝導度を持ち、いずれの原子吸着の場合でも類似の表面原子の配列と電子構造を持っていることが当研究室でよく調べられた。一方、この$\sqrt{3} \times \sqrt{3}$-Ag表面上にアルカリ金属原子を吸着させた場合にも、同様に√21×√21という表面超構造が形成され、高い表面電気伝導度が観測されたが、原子配列と電子構造はまだよく調べていない。今年度は主に室温と低温で、Si(111)-√21×√21-(Ag+Cs)表面原子配列を反射高速電子回折(RHEED)とSTMを使って研究した。

室温では、Si(111)-√21×√21-(Ag+Cs)構造のCs原子は動きやすいため、不安定であり、6×6構造へゆっくりと変化し、やがてもとの√3×√3 構造に戻ることがわかった。そこで、室温でSi(111)-√3×√3-Ag表面上にCs原子を蒸着させて √21×√21-(Ag+Cs)構造を作成した後にすぐ100K程度の低温にすると、√21×√21-(Ag+Cs)表面超構造は安定に存在できることがわかった。低温STMでこの安定した表面超構造を観察した結果、貴金属原子吸着場合のSTM像と違って、一つの√21×√21単位胞の中に、二つの輝点しかみられないことが分かった。貴金属原子吸着の場合には下地のSi(111)-√3×√3-Ag表面超構造は壊れてないようであるが、Cs吸着の場合には√3×√3-Ag表面超構造と√21×√21-(Ag+Cs)表面超構造の領域が同時に観察されないので、下地の√3×√3-Ag構造が壊れて再構成している可能性がある。

また、√21×√21-(Ag+Cs)表面の高い電気伝導度の原因を究明するため、角度光電子分光の測定を開始した。

K原子もSi(111)-√3×√3-Ag表面上に吸着させるとSi(111)-√21×√21-(Ag+K)表面超構造が同様に形成されるが、室温で不安定であることがわかった。またCs原子吸着と異なり、K原子は多量に吸着させると、Si(111)-2√3×2√3-(Ag+Cs)表面超構造が形成された。

角度分解型光電子分光装置の立ち上げとSi(111)表面上Ga吸着系の電子構造

当研究室では固体表面電子輸送の研究を行っており、その現象を理解する上で表面のFermi準位近傍の電子構造を調べることは極めて重要である。今年度後半、当研究室ではその電子構造研究のためにVG社製角度依存型電子分光器ADES400を導入して立ち上げた。本装置では電子分光器を超高真空中で2軸ゴニオメーターを用いて回転することができ、真空チャンバーに装着されたHe放電管と併用して角度分解型真空紫外線光電子分光(ARUPS)測定を行うことができる。またサンプルホルダーは方位角及び極角回転が可能であり、さらに1400℃以上の通電加熱機構と~110K以下への冷却機構も備えている。

今年度はこの装置の評価も兼ねてGa/Si(111)系の電子構造研究を行った。Si(111)-7×7 清浄表面にGaを~0.3原子層及び~0.6原子層蒸着すると、それぞれSi(111)-√3×√3-Ga及びSi(111)-6.3×6.3-Ga超構造表面が形成される。本研究ではこれらの表面についてARUPSの測定を行った。Si(111)-7×7とSi(111)-√3×√3-Ga表面についてはすでに報告があり、今回それらを裏付ける結果が得られた。一方、Si(111)-6.3×6.3-Gaについて今回初めてその電子構造が調べられ、表面が半導体的であることが明らかにされた。またバルクバンドギャップ内に表面状態が存在することを確認し、それらのバンド分散を決定した。Si(111)-6.3×6.3-Ga表面は表面層と下地表面の格子が部分的にしか一致しないdiscommensurate相を成している。今回の結果はこの珍しい相と低次元電子物性との関連を調べる上で重要な役割を果たすと期待される。


今年度の研究は下記の研究費補助のもとで行われた。記して感謝いたします。