2002年度(平成14年度)年次報告

4月から修士課程1年生として上野将司、沖野泰之、小西満の3君が、2月より学振特別研究員のKwonjae Yoo が新しくメンバーに加わった。3月には、谷川雄洋が博士課程を、金川泰三が修士課程をそれぞれ修了して巣立っていった。劉燦華が修士課程を修了して博士課程に進学した。

当研究室では、表面物性、特に「表面輸送」をキーワードにして、固体表面特有の様々な構造と現象について実験的研究を行っている。特に、シリコン単結晶表面上に形成される種々の表面超構造を利用し、それらに固有な表面電子バンドの電子輸送特性を明らかにし、バルク電子状態では見られない新しい現象を見出し、機能特性として利用することをめざしている。そのために、表面構造の制御・解析、表面電子状態、電子輸送特性、表面近傍での電子励起、原子層・分子層の成長構造、エレクトロマイグレーションなどの表面質量輸送現象など、多角的に研究を行っている。また、これらの研究のために、新しい手法・装置の開発も並行して行っている。以下に、本年度の具体的な成果を述べる。


1.表面電子輸送

温度可変マイクロ4端子プローブ法による表面状態での金属・絶縁体相転移の観測

超高真空中で表面超構造を制御しながら、マイクロ4端子プローブ(プローブ間隔;4〜30$\mu $m)を用いて、表面電気伝導度を400K〜10Kの温度範囲で、電子回折パターンと同時に測定できる装置を昨年度製作したが、今年度は、これを用いてSi(111)-4 x 1-In 表面を測定した。この表面超構造は、擬一次元金属的な表面電子状態を持つこと、かつ低温に於いてパイエルス転移を起こすことが知られている。測定の結果、図1に示すように、転移温度(〜130 K)以上では伝導度が金属的な温度依存性を示すが、8 x '2'に相転移するとともに急激に伝導度が減少することがわかり、明らかな金属・絶縁体転移を見出すことができた。低温相での伝導度の温度依存性からエネルギーギャップが約300meVと見積もられた。また、相転移近傍のみで、電流・電圧(IV)特性に著しい非線形性が見出された。さらに、欠陥を故意に導入すると、高温相での伝導度が激減し、転移温度での伝導度の変化がボケ、さらに非線形IV特性が消えた。このように表面電子状態での金属絶縁体転移を電気伝導度の変化として直接的に検出した報告は他に例が無い。

図1.Si(111)-4x1-In 表面超構造の伝導度を温度の逆数に対してプロットした。影の領域は、表面空間電荷層での伝導度(σSC)を示す

4探針STMの探針接触の制御と電位分布の測定

表面電子輸送を研究するために、本研究室では独立駆動型4探針STM(走査トンネル顕微鏡)を開発してきた。昨年度までに、試料と探針の接触を制御し、自動でアプローチを行う制御系、ソフトウェアを開発し、接触点ではショットキーバリアができていることを確認した。今年度は接触点の制御が可能となったことを生かし、Si(111)-7x7やSi(111)-√3x√3-Ag表面の探針近辺の電位分布を測定した。その結果、表面近傍のみを電流が流れる2次元伝導であることを確認し、探針制御できなかった以前の測定結果が正しいことが再確認された。

4探針STMによるカーボンナノチューブ(CNT)の電気伝導測定

4探針STM装置を用いてCNTのハンドリングや電気伝導度の研究を行った。走査電子顕微鏡で観察しながら、探針を用いて任意の多層CNTを一本取り出し、真空中で2端子電気伝導測定が可能であることを示した。また、大阪大学工学部の尾浦研究室と共同で、Tiパッド間に成長させたCNTおよび分散させたCNTの電気伝導特性の測定をおこなった。実験結果から接触抵抗が大きいが、CNTの伝導度は十分低いと考えられる。

一方、CNTは優れたSTM用探針として期待されている。探針形状、探針寿命が測定に大きな影響をあたえる4探針STMでCNT探針が使えるならば、その利点は非常に大きい。今後は、CNTをW探針の先端に強固に接着する方法を探し、CNT探針を実現したい。これにより、探針どうしの間隔をnmオーダーまで近づけることができ、また、極微構造物の測定も可能となる。(大阪大学との共同研究)

4探針STMによるSi(111)-4x1-In表面の異方的電気伝導度の測定

上述のSi(111)-4x1-In表面は、擬一次元金属的な表面電子バンドを持つので、著しい伝導度の異方性が期待できる。しかし、室温における線形4端子プローブ法(4つのプローブを一直線上に並べる方法)の測定では、金属鎖に沿う方向とそれと垂直方向で伝導度の差が見出されなかった。簡単な計算によると、異方的伝導度を持つ2次元導体では、電流プローブを結ぶ線上の電位分布は異方性やプローブの設置方向に依らず同一であることがわかった。そこで、4本のプローブを正方形に並べて、電流プローブと電圧降下測定プローブを入れ替えながら測定すれば、電位分布の異方性から伝導度の異方性を検出できるので、4探針STMを用いた測定を行った。さらに、測定精度を向上させるため、その正方形を試料表面上で回転させる「回転正方4端子プローブ法」を考案した。それによる測定の結果、Si(111)-4x1-In 表面では、金属鎖に沿う方向には 7x10-4 S/Squareの伝導度(σ//)を持ち、それと直角方向にはその約1/70の伝導度(σ)しかないことがわかった。この異方性は、実測されている表面電子バンドを利用してBoltzman方程式から計算された異方性とほぼ同じ程度であること、また、σは表面空間電荷層の伝導度でほぼ説明できることがわかった。このように伝導度の異方性の実測により、表面電子バンドによる伝導を確かにとらえていると言える。(電気通信大学との共同研究)

微傾斜Si(001)上のIn のエレクトロマイグレーション

$<100>$方向に4°傾いたSi(001)基板表面上に、In を幅$10μmのスリット状に蒸着し、直流電流を基板に流した時のIn の表面上での熱拡散およびエレクトロマイグレーション現象を超高真空走査電子顕微鏡でその場観察した。電流(電場)の増大にしたがい、表面熱拡散(陽極側と陰極側ともに等方的にIn 領域が拡がる)が優勢な状況、表面熱拡散と表面エレクトロマイグレーションが同程度の状況、および表面エレクトロマイグレーション(陰極側に優先的に拡がる)が優勢な状況が実現した。In 領域の陰極側での端では3次元的な島が観察されたが、以前の報告にある (310)ファセットは形成されなかった。表面ステップの影響も観察されなかった。(電気通信大学との共同研究)

2.表面超構造と相転移

微傾斜Si(111)上のAu誘起表面構造

結晶を切り出すときに低指数面からわずかに傾けて切り出すと、低指数面のテラスとステップからなる階段構造をとることが知られており、この表面は一次元系作成の良いテンプレートとなる。今回は[112]方向と[112]方向に9.45°傾いた2つのSi(111)ウェハーを用いた。これらの表面にAuを蒸着すると自己組織化によって、テラスとsingleステップが周期的に並ぶ一次元構造を示すことがすでに報告されている。また、蒸着量を変えることでテラス幅を1.5nmから3.5nmまで不連続に変えることができる。この表面を走査トンネル顕微鏡(STM)で観察し、低速電子回折(LEED)によるphase diagramを局所構造の面から確認した。今後はこの一次元構造の電気伝導特性と局所構造の相関を調べていく予定である。

Si(111)-4x 1-In表面での欠陥の影響のSTM観察

室温において4x 1-In表面上に0.1原子層程度のInを追加蒸着すると、表面には欠陥が導入され、4x'2'構造に変化することが知られているが、その欠陥誘起構造を、室温および65KにおいてSTM観察を行った。この表面は65Kにおいてもやはり4x'2'周期を持つが、この低温相は室温における4x'2'構造とは明らかに異なることがわかった。室温における4x'2'構造は欠陥の周りに広がるフリーデル振動によるものである。一方、低温における4x'2'構造は表面全体に広がり、STM像は明らかに室温4x'2'構造とは異なる。更に、STM占有状態像と非占有状態像の比較から、この低温4x'2'構造は、欠陥導入前の清浄なIn/Si(111)表面で見られた低温8x'2'-CDW(電荷密度波)相とも著しく異なることがわかった。つまり、欠陥の少ない4x1表面は、冷却によってCDW転移を起こす一方、欠陥を多量に導入すると、低温で室温と異なる4x'2'構造に相転移するが、この2つの相転移の機構は全く異なるといえる。

作成条件の異なるSi(111)-√3x√3-Ag表面のSTM観察

Si(111)-√3x√3-Agは様々な実験や理論的な計算に用いられている非常に典型的な表面である。この表面は作成条件を変えると、単位胞内の原子配列構造には違いは生じないが、Si 2p内殻光電子分光スペクトルに違いが生ずることが示唆されていた。これは内殻光電子分光実験において、スペクトルに影響する未知の因子がある可能性を意味している。そこで、この原因を解明するために、STMを使って、異なる作成条件で作った表面を系統的に直接観測した。その結果、作成条件によって表面の巨視的な形態に大きな違いが生じることを発見した。このことから、√3x√3-Agテラス上に存在しているにもかかわらず室温STMでは見えない余剰Ag原子の2次元気体が、内殻光電子スペクトルに影響していることを提案した。これより、余剰原子の無い理想的√3x√3-Agの作成条件を確立した。

Si(111)-√3 x √3-Ag表面の電子構造

Si(111)-√3x√3}-Ag表面の最安定構造として、STMと第一原理計算などの研究によりInequivalent Triangle(IET)構造が提案され、広く受け入れられている。しかしながら、これまでの表面電子状態についての研究では、このIETに対応したバンド構造は報告されていない。本研究では、放射光実験施設Elletra(イタリア)とPF(日本)において放射光光電子分光測定を行った。その結果、IETに対応したエネルギーギャップと波動関数の対称性を確認するなど、そのバンド構造を詳細に決定し、電子構造に関わるこれまでの議論に決着を付けた。また、表面は冷却に伴い150K付近で相転移することが知られているが、その相転移の起源の確固たる証拠を掴んだ。


Si(111)-√21×√21-(Ag+Na)表面の光電子分光

Si(111)-√3x√3-Ag表面に一価金属原子を吸着させると高い電気伝導を示す√21x√21相が形成されることが当研究室で明らかにされている。これまでAg, Au, Cu, K, Rb, Csを吸着させた系について電気伝導、原子配列構造、電子状態に関する報告があったが、より単純な電子系であるNa吸着系はまだない。そこで、本研究では$√3} x √3}$-Ag表面上のNa吸着系の構造及び電子状態を調べた。電子回折により〜0.15ML Naの低温蒸着で√21x√21相の形成を発見した。さらにこのSi(111)-√21 x √21-(Ag+Na)表面とSi(111)-√21 x √21-(Ag+Ag)表面についてSi 2p, Na 2p, Ag 4d準位の内殻光電子分光(CL-PES)測定、および表面価電子バンド分散構造を角度分解光電子分光法によって調べた。その結果、この表面電子状態は金属的で、√21 x √21-(Ag+Ag)表面の電子構造と類似していることが分かった。CL-PESからも両表面の構造に高い類似性が見られた。また$√21} x √21}$-(Ag+Na)表面には2種類以上のNa吸着サイトがあり、さらに下地√3x √3-Ag基板表面がIET構造から変化していることが示唆された。また、√21 x √21-(Ag+Ag) で見出された大きな電子ポケットとなる放物線的なバンドは、実は小さな電子ポケットであることが明らかとなった。

Si(111)-√3 x √3-Ag表面上のCs吸着

室温でCs吸着によって形成されるSi(111)-√21} x √21-(Ag+Cs)構造の電子状態を光電子分光法によって調べた。その結果、貴金属による√21 x √21表面と全く異なり、下地の√3 x √3-Ag表面の表面バンドが全く残っていないことがわかった。前年度の低温STMの実験結果とあわせて、√21 x √21-(Ag+Cs)表面は、貴金属による√21 x √21表面と著しく異なる原子配列及び電子構造を持っているといえる。

また、仕事関数のCs吸着量依存性から、√21 x √21-(Ag+Cs)表面のCs蒸着量は約0.45MLであると見積もった。また、Cs蒸着量を増やしていくと、表面状態が非金属→金属非金属金属と変化していくことが分かった。これは、室温で√3 x √3-Agの表面上にCs蒸着しながら測定した表面電気伝導度の変化とよく対応しているので、この電気伝導度の変化は表面バンドの変化が支配していると考えられる。

また、0.45MLよりはるかに少ない量のCs原子を√3 x √3-Ag表面上に室温で蒸着して、その後70Kに冷却する、あるいは、120K程度の低温で√3 x √3の表面にCs原子を直接蒸着すると、√21 x √21構造が試料表面全面的に形成されることを発見した。この低温で且つ低蒸着量で形成される√21x √21表面を低温STMで観察した。一つの√21 x √21ユニット中に三つの輝点が存在し、この輝点のサイズと高さを調べた結果、一つの輝点が一つのCs原子に対応していることが分かった。この輝点の数およびCsの蒸着時間から、この低蒸着量の√21 x √21表面のCs 被覆量は0.15MLであると考えられる。この低蒸着量の√21 x √21表面の電子構造を光電子分光法で調べたが、現在データ分析中である。

3.新しい装置の立ち上げ

高分解能角度分解光電子分光・マイクロ4端子電気伝導測定複合装置の立ち上げ

この装置では、半導体表面上での金属吸着で形成されるナノ構造のフェルミ面を、超高分解能光電子分光法で決定し、その量子物性や輸送現象との関連を調べる。本年度は、(1)高エネルギー分解能・高角度分解能の電子分光、(2)サンプルの2軸回転の自動制御、(3)幅広いサンプル温度領域での測定、などの機能を兼ね揃えた実験装置の立ち上げを行った。Gammadata Scienta社製電子分析器SES-100の導入やマニピュレーター改造により、現在、2.1meVのエネルギー分解能、〜0.2°の角度分解能、2軸回転のコンピューター制御、90〜300Kでの測定が可能となり、当初の目的を達成した。また、本装置にはマイクロ4端子プローブによる電気伝導測定もデザインしてあるので今後はその拡張とパルス加熱による室温以上での測定も実現させる。

自動フェルミ面マッピング角度分解光電子分光用モーターコントロールシステムの作成

Vacuum Generators(VG)社のADES400アナライザーを真空中で固定し、大気側から試料マニピュレーターをステッピングモーターで動かす。このとき、アナライザーが検出する光電子の運動エネルギーを固定すれば、そのエネルギーにおける光電子カウント数を様々な電子出射角度において測定することになり、等エネルギーにおける光電子強度分布を得ることができる。これをフェルミエネルギーで行えば、フェルミ面マッピングを行える。試料マニピュレーター及びステッピングモーターはそれぞれVG社、神津精機社によるものであり、ステッピングモーターはPCからGPIB接続で制御される。アナライザーの発するパルスのカウンターにはNational Instrumants社のPCI-6601を用いてPCに取り込まれる。これらを制御するPC上のプログラムはMicrosoft Visual Basic 6.0によって作成した。テスト運転の結果、所期動作を確認でき、来年から実際の試料での測定に利用する予定である。


今年度の研究は下記の研究費補助のもとで行われた。記して感謝いたします。