97年次報告書

当研究室では,「表面輸送」現象に焦点を絞って実験的研究を進めている。具体的には,シリコン表面上に形成される様々な表面超構造を利用し,それに固有の表面電子準位バンドの電子輸送特性を明らかにすることを目指している。
表面上に吸着した原子による表面電子準位バンドへのキャリア・ドーピング効果を昨年当研究室で見いだしたが,今年度は,その現象を様々な一価原子を吸着子として用いて系統的に調べ,現象の一般性を見いだした。現在は,これをさらに拡張して二価原子によるドーピング効果を調べている。また,シリコンの表面電子準位バンドの電子が表面ステップや分域境界で散乱されて電子定在波を作ることを低温型走査トンネル顕微鏡で観察することに成功し,表面電子準位バンドによる電気伝導を別な形で示すことができた。また,表面構造の相転移によって,表面電気伝導が著しく変化するという現象も見いだした。
フラーレン(C60)分子層の配列構造と電気伝導の関連の研究も始め,今までに知られていない新しい現象をいくつか見いだした。
また,表面電気伝導と密接に関連しているエレクトロマイグレーション(表面電気移動)現象の研究のため,局所蒸着法を開発し,具体的な研究も始めた。
液体ヘリウム温度で,超高真空中で,しかも強磁場下で表面電子準位バンドの輸送特性を測定するための装置や,表面構造相転移に伴うフォノン異常と電子輸送特性の関連を調べるための装置の開発も行った。
以下に,具体的な成果を述べる。


表面電子輸送の研究

シリコン表面上の電子定在波の観察

電子定在波は,これまでAuやCu,Beなど,金属表面でのみ観察されていたが,私たちは,今回初めて,シリコン表面上で電子定在波を観察することに成功した。
電子定在波とは,ドメイン境界やステップ端などの局在したポテンシャルによって誘起される局所状態密度の振動的変化の実空間での分布である。Si(111)-√3×√3-Ag表面は,フェルミレベル近傍に2次元自由電子的な表面電子状態を持ち,これが定在波の形成に寄与する。
直線的なステップ端やドメイン境界付近には平行な定在波パターンが,円形状のドメインには干渉した複雑な定在波パターンが見られた。同じ領域をバイアス電圧を変えて観察すると,電圧を下げるにしたがって,定在波の波長が長くなった。これから,バイアス電圧と波数の関係が求められ,理論計算によるエネルギー分散曲線と比較できた。しかし,両者は一致しているとは言い難く,その原因となる幾つかの可能性を現在検討中である。また,この電子定在波は,表面電子準位バンド内のキャリアが表面ステップ等で著しい散乱を受けることを直接示しており,私たちが昨年測定したキャリア移動度の低さを裏付けることになる。

低温での鉛吸着Si(111)表面の構造相転移と表面電気伝導の変化

Pb原子が吸着したSi(111)表面上で形成される新しい表面超構造を室温から100Kの温度範囲でRHEED(反射高速電子回折)を用いて見出した。
Pbがおよそ0.9原子層以上吸着した室温のSi(111)表面では不整合相が現れることが知られていたが,これが室温以下の温度においてSi(111)-√7×√3-PbやSi(111)-√43×√3-Pb表面超構造へ整合・不整合相転移を起こすことを見出した。これらの新しい表面超構造の形成条件を相図としてまとめた。
また,Pbが1/3原子層吸着したSi(111)表面において形成される√3×√3-Pb構造が,室温直下で3×3超構造に相転移することも見いだした。この構造変化は,Ge(111)表面上に吸着したPb層との類似性から,局在した電荷密度波(CDW)による構造相転移である可能性がある。

鉛原子層での電気伝導の量子サイズ効果

Si(111)表面上におけるPb原子の表面拡散長が低温表面上で短くなるため,蒸着されたPb原子は表面上で完全に一層ずつ層状成長することが期待される。そこで,115KにおいてSi(111)表面上に鉛原子を15原子層程成長させ,その過程での電気伝導の変化と原子層成長構造の相関を調べた。基板表面としてはSi(111)-7×7,-3×3-Pb,-√7×√3-Pbを使った。
基板の表面超構造によらず,Pb超薄膜の厚さが4.5原子層,6.5原子層,8.5原子層,10.5原子層,13原子層付近で電気伝導度に共通のピークが存在することが分かった。この効果は電子が鉛の超薄膜原子層に量子的に閉じ込められるとすると説明できることがわかった。

C60分子層の成長構造と電気伝導

Si(111)-7×7清浄表面上にC60分子を室温で蒸着したときの表面構造の変化をRHEEDで観察し,そのときの表面電気伝導度の変化を4端子法により同時に測定した。また同様なことをSi(111)-√3×√3-Ag表面と,Si(111)-6×6-Au表面についても行った。
すでにいくつかのグループによって報告されているように,7×7清浄表面上にC60を1分子層蒸着すると,C60は局所的に√7×√7超構造をとった。また,√3×√3-Ag表面上でも√7×√7超構造をとり,6×6-Au表面では不整合構造をとることが分かった。C60を約1分子層蒸着すると,7×7清浄表面では,電気伝導度が増加し,√3×√3-Ag表面においては,初め電気伝導度は減少して極大値をとった後増加に転じた。6×6Au表面での電気伝導度の変化はAuの蒸着量に敏感であった。
これらの電気伝導度の変化は,C60の吸着による基板シリコンのバンドベンディングが変化したことが最大の原因であると考えられる。また,上記の3種類の表面にC60を1分子層蒸着した後,Kを蒸着すると電気伝導度が大幅に増加することが分かった。これらのメカニズムを明らかにするため,今後,電子状態の測定を光電子分光法を用いて行なう予定である。

Si(111)-√3×√3-Ag表面上へのアルカリ金属原子吸着による構造と表面電気伝導の変化

昨年度までに,室温に保たれたSi(111)-√3×√3-Ag表面上に微量の1価貴金属(Au,Ag,Cu)を吸着させると,それらの原子から1個の電子が供給され,表面電子準位バンドへキャリア・ドーピングされて表面電気伝導度を著しく高めることを見い出した。
そこで,貴金属原子のかわりに同じ1価のアルカリ金属原子(Li,Na,K,Cs)を√3×√3-Ag表面に吸着させたところ,やはり急激な伝導度の増加が見られた。吸着量が極く微量(0.1原子層以下)の場合では,吸着原子によるキャリア・ドーピング効果で説明できると考えられるが,0.1原子層以上の吸着量では,すべてのアルカリ金属について√21×√21表面超構造が現われ,それによって伝導度が増大するという現象がみられた。これは,低温基板上での貴金属原子の吸着の場合に酷似しており,表面構造の形成ならびに表面電気伝導度の変化について共通のメカニズムが働いていると考えられる。

二価金属原子の吸着したSi(111)表面構造と電気伝導

高温のSi(111)表面上にCa原子を単原子層以下蒸着したときに形成される表面超構造をRHEED-STMで観察した。
蒸着量の増加とともに3×1,5×1,7×1,2×1表面超構造が順に形成されることを確認した。各構造のSTM像はn倍周期(n=3,5,7,2)の縞状構造を示した。3×1構造では,縞に沿って2倍の周期が存在するが縞と縞の間では位相がずれており,これはRHEEDパターンに現れる1/2次のストリークに対応している。5×1,7×1構造では5,7倍周期の縞がさらに細いそれぞれ2本,3本の縞により構成されていることが分かった。また,STM像における縞のコントラストはバイアス電圧の極性反転によって著しく変化したので,原子配置だけではなく電子構造も反映していることは明らかである。
他の二価金属原子をSi(111)表面に蒸着した際にも同様の構造を示すことが知られており,3×1構造に関してはアルカリ金属や銀を蒸着した際にも共通して現われる。今後,これらの系と比較するとともに,吸着,拡散,再構成,脱離などの動的過程を高温STMにより観察し,一連の縞状構造の詳細,およびそれらと表面電気伝導の関連を明らかにする予定である。

超高真空極低温強磁場印加型表面電気伝導測定装置の開発

強磁場下での表面電子準位バンドの電子輸送特性を調べることを目的として,超高真空内で,表面構造を制御した試料を5K程度まで冷却し,さらに強磁場を印加して電気伝導度を測定する装置を製作した。
試料ホルダーは市販のHeガスフロー型のもので,試料温度を5K程度から室温以上まで制御でき,また超伝導磁石によって6Tまでの磁場を印加することができる。表面超構造の観察のためにRHEED装置が取り付けてある。
この装置を用いて,表面電子準位バンド内のキャリアによるホール効果や磁気抵抗効果などを測定する予定である。

表面質量輸送及び表面構造相転移の研究

二元表面合金相の形成過程の観察

室温から450℃の間に設定したSi(111)-√3×√3-Ag表面上にAuを蒸着したときの表面超構造の変化をSEM(走査電子顕微鏡),SREM(走査型反射電子顕微鏡),STM,およびRHEEDを用いて観察した。 特徴的なことは,

  1. どの設定温度でも表面超構造は√3×√3-Agから√21×√21-(Au+Ag)へと変化する。
  2. √21×√21表面超構造形成後,200℃以上では6×6超構造へと変化する。
  3. 400℃以上において複雑な周期性を持つ新しい表面超構造を見い出した。

SEM観察により,√21×√21表面超構造スポットがRHEEDにより確認されるよりも少ないAu蒸着量から,コントラストの暗いドメイン(すなわち二次電子放出量が少ないドメイン)が形成され,√21×√21の周期性を持たない中間的な表面構造・状態が存在することが明らかとなった。また,この時同時に3次元アイランドの形成を伴うことを見い出した。その3次元アイランドのエレクトロマイグレーションの方向の変化から,Au吸着の際に下地のAg原子と飛来したAu原子が置換することが示唆された。しかし,STM観察では,上記の中間的な構造・状態に対応するドメインを見い出すことはできなかった。また,√21×√21表面超構造形成後,

  • そのドメインはステップの下側から形成され,ドメインの形状エネルギーが小さくなるように自発的に形状を変えていくこと
  • 刻々と形状が変化する”霧状”の領域が,欠陥の周囲や,√21×√21表面超構造ドメインの近傍に存在すること

がわかった。この霧状の領域の正体は現時点ではわかっていないが,Au,Agのうち少なくとも一方の原子の密度が比較的高い領域と考えられる。この霧状領域がAu吸着初期段階における上述の中間的な表面構造・状態のドメインと密接な関連があると推察できる。

Si(111)表面上のMnシリサイドの形成過程の研究

シリコン表面上の遷移金属シリサイドのエピタシャル成長に関して,いままでに多くの研究がなされているが,しかしMnに関しては殆んど研究例がない。本研究ではRHEEDとSTMを用いてSi(111)表面上のMnシリサイド超薄膜の初期成長過程を研究した。
その結果小さなMnクラスターは下地のSiと殆んど反応しないが,大きなMnクラスターはステップなどの欠陥から表面2原子層分のSiを剥ぎ取ってシリサイドを形成して√3×√3表面超構造を作りながら表面平行方向に成長することが分かった。Mnの被覆率や表面作成条件の違いによりシリサイドアイランドの形態を様々に制御できることも明らかになった。

微斜面Si(111)-5×2-Au表面の電子状態

Si(111)-5×2-Au表面超構造は,5倍周期で走る縞に沿った方向に1次元金属的な電子状態を持つという報告がある。これを確かめるため,私たちは,(111)方向から2°傾いた微斜面表面を用いて単一方向ドメインの5×2-Au構造表面を作り,角度分解紫外線光電子分光測定を行った。
その結果,報告されていた金属的な表面電子状態を見い出せなかった。これは,その報告では,4°offの微斜面(111)表面を用いていたので,加熱時に形成される(113)ファセット面の電子状態を見ていたのであって,5×2-Au表面の電子状態を正しく反映されていなかったのではないかと考えられる。5×2-Au表面は,半導体的な電子状態を持つ表面であると考えられる。

エレクトロマイグレーションの研究

従来のエレクトロマイグレーション(表面電気移動)現象は,表面上に異種原子をパッチ状に蒸着して,その領域が電流によって広がっていく様子を観察して研究されてきたので,私たちの超高真空走査電子顕微鏡(UHV-SEM)中でマスク蒸着が可能なピンホール付マスクを制作して取り付け,動作を確認した。また,別な方法として,たとえば,Si(111)7×7表面上にAgtipを局所的に接触させ,その状態で基板に電流を流してエレクトロマイグレーションを起こさせるという方法も考案し,動作を確認した。
今後,これらの方法を用いて,主に表面電子準位バンドを流れる電流によって引き起こされるエレクトロミグレーション現象を確認する予定である。 

ELS-LEED装置の製作

高い波数分解能と高いエネルギー分解能を兼ね備えた表面分析装置を製作している。この装置では電子回折スポットのプロファイル分析と,エネルギー損失スペクトルの同時測定が可能となる。たとえば構造相転移の前後における電子状態や振動状態を測定し相転移のミクロな機構に関する知見などが得られると考えている。今年度は,超高真空槽と試料マニピユレーターの製作が完了し,さらにエネルギー分析器と電子回折の本体と制御電源の制作もほぼ完成した。今後は超高真空条件で電子ビームを出して調整を行って行く。


今年度の研究は下記の研究費補助のもとで行われた。記して感謝いたします。

  • 科研費創成的基礎研究「表面・界面−異なる対称性の接点の物性−」(代表者八木克道)
  • 科研費国際学術研究「エピタキシャル成長のメカニズムとコヒーレント超薄膜の物性」(代表者八木克道)
  • 科研費重点領域研究「微小領域磁性」,「磁性超薄膜の表面・界面ナノ構造の制御と表面磁性」(代表者長尾忠昭)
  • 科学技術振興事業団戦略的基礎研究「人工ナノ構造の機能探索」(代表者青野正和)
  • 受託研究科学技術振興事業団「半導体表面超構造と表面電気伝導の制御」(代表者長谷川修司)
  • 奨学寄附(株)日立製作所中央研究所「ミクロな電子伝導の物理の検討」(代表者長谷川修司)